底なし袋の中

個人的なこと

夏の影

 去年の夏の終わり、私は実の親と絶縁した。
 現在の日本の法律では、戸籍上の親子の縁を切る方法はない。が、ネットで検索すると、黙って連絡先を変えたり引っ越ししたりすることを「絶縁」と定義づけている人が多くいる。
 私の場合もそれと同じく、親にも祖父母にもきょうだいにも伝えないまま、携帯電話の番号とメールアドレスを変えた。
 とはいえ、義理の両親を含めた一部の知り合いには新しい連絡先を伝えてあるから、そのあたりから聞き出して接触をはかってくる可能性はある。住所は変わっていないので、家へ直接乗りこんでくることだってあるかもしれない。
 しかし、そんなことは何ひとつ起きないまま、私は今、新しい夏を迎えている。

 

 背の高い雑草がざわざわと鳴り、ぬかるんだ土に足をとられる。自分がいったいどこへ向かっているのかわからないけれど、とにかく歩を進めなければいけない。私の夏は、そういう季節だった。
 中学生の私は、夏休みの部活動中、ある同級生に無視されるようになった。ほかの同級生や先輩もまもなく、彼女と一緒になって、明らかに私のほうを見やりながらひそひそと話をしたり、笑ったりするようになっていった。
 運の悪いことに、扇動者の女子は、部活動だけでなくクラスも一緒だった。夏休みが明けても彼女の言動は変わらなかったので、今度はクラスメイトまでもが私を嫌い、避けるようになった。

 じっと耐えていれば、いつか終わるはずだ。終わるに違いない。糸くずのように頼りない希望を、汗ばんだ手の中に握りしめながら、家族にも教師にも言わずに過ごした。特に両親には、様子がおかしいことを悟られてはいけないと思っていた。

 けれど、限界は1ヶ月でおとずれた。いじめられてるなら学校を休めばいいじゃない。天啓と呼ぶにはあまりにも単純なそれを得た私は、両親に手紙を書くことにした。真夜中、こっそりと学習机のライトをつけ、学校でどんな目に遭っているかを便箋数枚にわたって書き連ねた。最後に、もう学校には行きたくない、お願いだからわかってほしいと強調した。
 それを両親の寝室のドアの隙間から差し入れたとき、私は心の底から安堵していた。あんなひどい場所には、もう行かなくたっていいのだ。これから家でどんな風に過ごそうか。次の朝が来ることに怯えず眠りについたのは、ひどく久しぶりのことだった。

 

 翌朝、目を覚ますと、登校時間はとっくに過ぎていた。父ときょうだいが出かけたあとの家の中はしんと静かで、これが私の日常になっていくのかと、ぼんやり思った。

 その後、物音で私が起きたことを察知したのであろう母が、部屋に入ってきた。当時、母は夕方から夜にかけて働きに出ていたので、昼間はいつも家にいた。
 このとき彼女は、私がいじめられていることに対し、心配したり、気遣うような言葉をかけてくれたのかもしれない。けれど、私が覚えているのは、「学校を休むのはだめ。学校には行きなさい」と言われたことだけだ。

 どうしようもなかった。掴んでもらえると信じて疑わず伸ばした手を、なだめるように押さえこまれ、ただ頷くことしかできなかった。

 私は、学校へ通い続けた。朝、制服に腕を通しながら、毎日のように泣いた。母に見つかると、なんで泣いているのか、何がつらいのかと問い詰められるので、声を押し殺して泣いた。顔を拭って、ぎりぎり遅刻にならないくらいの時間に家を出た。

 授業と部活を終えたあとは、近所を流れる川のそばへ行った。ここでなら、誰にも知られずに泣くことができる。そう思うのに、喉にものを詰めこまれたように苦しくて、うめくように、涙を絞り出した。

 この広くて深い水の中に入れば、死ねるだろうか。何度も考えたけれど、実行に移す勇気はなかった。そして、両親が帰宅する前に家に戻り、何事もなかったかのような顔を作って、夜を過ごした。そんなふうにしか生きられない自分が、何よりも嫌いだった。

 

 アスファルトから立ち上る熱、青い草の色、中高生たちの半袖シャツ。夏のおとずれを感じると、腹の底がぎゅっと痛む。
 燃えるような夕陽、水の流れる音、泥のにおい、蛙の鳴く声、重たいセーラー服。どうしようもなく悲しくて、ぼろぼろで、どこへも行けなかった中学生の私。そのすべてを、私は昨日のことのように思い出せる。たぶんこの先もずっと、そうだろう。

 

 絶縁する少し前、私は母にメールを送った。「あの時なぜ、学校を休ませてくれなかったのですか」「夏が来るたび、辛かったあのころを思い出します」と。
 責める意図はなかった。ただ、理由が知りたかった。
 まもなく送られてきた返信には、「あなたのためを思って言った」「とても心配していた」というようなことが長々と書かれていた。読みながら、ぱきんと、ガラスのひび割れるような音を聞いた。

 私はどこかで、母のことを信じたいと思っていた。あのとき、本当は休ませてやりたい、苦しみから解放してやりたいと思いながらも、そうすることができない事情があったのだと。学校に通うのは当然だとか、世間体がどうとかではなく、母や父が悩んで悩みつくした結果、たどり着いた理由があるはずだと。

 けれど、そんなものはこの世に存在しない。その事実を知ってしまった。スマホの画面いっぱいに、言葉がこんなにも隙間なく並んでいるというのに、私に刺さるものはひとつもなかった。

 

 新しい夏は、とても静かだ。相変わらず雑草はざわざわと鳴っているし、地面もぬかるんでいるけれど、そこにレジャーシートを敷いておにぎりをかじるくらいの余裕はある。疲れた身体に鞭うって、先を急ぐ必要はないのだと、やっと思えるようになったから。

 セーラー服を着た少女の亡霊と手をつなぎ、おしゃべりをしながら、ピクニックをするように生きていく。それも悪くないなと思うと、私の夏にも、ほんの少し光が差しこむような気がする。

 

noteに掲載したものを再掲、編集しました。