底なし袋の中

個人的なこと

ここにいてもいい理由

土曜の昼間からやっている音楽番組をつけながらうとうとしていたら、速報を知らせるアラームのような音で目が覚めた。
コロナ感染者数のやつかな、と思っていたら、日本の人気俳優が自死したという報道だった。

特別思い入れがあるわけではないけれど、彼は私よりも若くて、きっと才能もあった。
そんな人がみずから命を絶ったという事実があって、じゃあなぜ私はここにいて、なぜ生きているんだろう。
そんな疑問がごく自然にわいてきてしまうくらいには、私は私のことを肯定できていない。

思えばいつも、「ここにいてもいい理由」を探している。
私自身に、どれほどの値打ちがあるのか。私が「ここにいる」ことで、誰にどんな利益があるのか。私はできるだけ、それらを推測することのできる場に身を置いていたいと思う。
例えば、職場。私が労働することで、会社に利益がもたらされる。だからそこに「いてもいい」。
それから、病院や店。患者あるいは客として、代金を支払う。だからそこに「いてもいい」。

逆に、「いてもいい」理由のわからない場所にとどまるということは、とても難しい。
友人と会ってごはんを食べたり、遊んだりというのはとても楽しいけれど、同じくらい疲労する。「私と会うために時間を使って、お金を使って、この子になんの得があるんだろう?(いやない)」という考えが、会う前から会った後まで、呪いのようにつきまとうから。

その最たるものが、現在の結婚生活だ。
自分で言うのもなんだけれど、夫は私のことが大好きだ。どうしてかはわからない。「私のどこが好きなの?」と真剣に尋ねても、「どこだろうねえ」と笑って返される。
私は家で仕事をしているけれど、それもアルバイト程度のもので、99.99999パーセント夫に養ってもらっている。そのぶん私が家事などをやっているのかと言えば、そういうわけでもない。私は台所に立つだけで気分が悪くなるほど家事が嫌いだ。本当に私は、夫の背中にとりついた子泣きじじいみたいな生き物なのだ。

なのに夫は、私を捨てる気配が一向にない。
自分の食事すら作れないと言えば総菜を買ってきてくれるし、トラウマが発動して泣いていれば静かに傍にいてくれるし、休日にここへ行きたいと私が言えば文句も垂れず付き合ってくれる。私が何かにつけて「ちゃんとしてないと捨てられちゃうから」と言うたび、「そんなわけないでしょう」と笑わずに答える。
私は、不安になる。何をすればずっと好きでいてくれるのか、何をすれば嫌われて捨てられるのか、それがわからないから。
「生きていてさえくれればいい」と言われることが、自分が無条件に愛されるということが、理解できないから。

重要なのは、「ここにいていい理由」が実際にあるかどうか、ということではない。それについて思考を巡らせ、消耗してしまうことが問題なのだ。
うつ病薬物療法とカウンセリングを続けることで、ようやくそう考えられるようになった。
けれど、いくら頭でわかっていても、心がまだそこへ追いついていない。「ここにいていい理由」探しはやめられないし、不安や恐怖は常に私の中にあって、ふとした時に顔を出してしまう。


夫や、心を許している数少ない友人たちの愛を、無条件に受け取れる日は来るだろうか。

いつの間にか、自分でも気がつかないうちに、そんなふうになっていけたらと思う。

 

 

※この記事はnoteより再掲、編集したものです。